私が生まれてきた意味
私は自分に満足して死にたい。
日本人として生まれた私は、清潔な環境で衣食住が保障され、仕事があり、趣味も楽しみながらそれなりに充実した生活を送っている。でも何かが足りない。私は常に焦燥感に駆られながら、それでも何もできずにただ生きている。
日々、謎の焦りを感じて「早くなんとかしなければ」と考えれば考えるほど、私は何者かにならないといけないような気がしてくる。働いて食べて寝て、趣味をして遊んで平凡な人生を送る。それで満足できれば問題はないのだが、私はそれではだめらしい。かといって、何か大きな功績を残したい、褒められたい、出世したい、お金持ちになりたい、有名になりたい、モテたい、たくさんいいねがほしい…それも違う。
社会的地位とか周囲からの評価とか、物質的に豊かであるかとかそういう問題ではないのだ。外側から見た相対的な自分の立ち位置はどうでもいい。自分の内側から、絶対的な”私”が存在する意味を見つける。最終的には自分の中にしか答えはないはずだが、その答えを見つけるために人の体をつかって日々、外の世界と関わりを持ちながら生活を送る必要がある。
私は自分のポテンシャルの限界を知りたい、なんならそこを超えたい。私はごくごく平凡な人間で、突出した能力があるわけではない。「そんな凡人のくせに大層なことを言うもんだ」と馬鹿にされるかもしれないが、外野が何と言おうと関係ない。私は自分の中での限界値を知りたいだけで、他の誰かになりたくて他人を羨んだり妬んだりしているわけではないのだから。
その限界値というのは、自分が思っているよりもずっと低いかもしれない。それなら超えていけばいいだけの話だ。やってみなければわからない。意志の力を信じれば、できないことはない。手段なんて無限にあるはずだ。
自分が生まれてきた意味は自分で作る。そして、あわよくば自分に満足して死にたいが、それが叶うとは思っていない。それでも探し続ける。超人にはなれなくても絶望せず、腐らずに進む。そんな人生を送りたい。