お察しください、色々と。

35歳独身OLの頭の中

世の中には論理的に説明できないこともある

スピリチュアルやら波動やら超能力やら…

実体がなくて、論理的に説明のつかないものは基本的に胡散臭いと感じてしまう。

とはいえ、実際にそういうものは存在するんだろうな~とも思う。

 

私が否定的な立場で見てしまうのは、そういう目に見えないものは営利目的や犯罪に利用されやすい側面が目立つからだろう。

 

そして、思考停止して妄信する人々が嫌いだ。

信じる者は救われる、みたいな他力本願が気に食わない。

 

 

霊的な能力、ただ者ではないオーラを持つ人というのは、普通の人間である私にでもなんとなくわかる。

実際に会えば、論理を超える説得力があるのだ。

本物はわざわざ出しゃばらなくとも、溢れ出るなにかがあるのだろうね。

私が生まれてきた意味

私は自分に満足して死にたい。

 

日本人として生まれた私は、清潔な環境で衣食住が保障され、仕事があり、趣味も楽しみながらそれなりに充実した生活を送っている。でも何かが足りない。私は常に焦燥感に駆られながら、それでも何もできずにただ生きている。

 

日々、謎の焦りを感じて「早くなんとかしなければ」と考えれば考えるほど、私は何者かにならないといけないような気がしてくる。働いて食べて寝て、趣味をして遊んで平凡な人生を送る。それで満足できれば問題はないのだが、私はそれではだめらしい。かといって、何か大きな功績を残したい、褒められたい、出世したい、お金持ちになりたい、有名になりたい、モテたい、たくさんいいねがほしい…それも違う。

 

社会的地位とか周囲からの評価とか、物質的に豊かであるかとかそういう問題ではないのだ。外側から見た相対的な自分の立ち位置はどうでもいい。自分の内側から、絶対的な”私”が存在する意味を見つける。最終的には自分の中にしか答えはないはずだが、その答えを見つけるために人の体をつかって日々、外の世界と関わりを持ちながら生活を送る必要がある。

 

私は自分のポテンシャルの限界を知りたい、なんならそこを超えたい。私はごくごく平凡な人間で、突出した能力があるわけではない。「そんな凡人のくせに大層なことを言うもんだ」と馬鹿にされるかもしれないが、外野が何と言おうと関係ない。私は自分の中での限界値を知りたいだけで、他の誰かになりたくて他人を羨んだり妬んだりしているわけではないのだから。

 

その限界値というのは、自分が思っているよりもずっと低いかもしれない。それなら超えていけばいいだけの話だ。やってみなければわからない。意志の力を信じれば、できないことはない。手段なんて無限にあるはずだ。

 

自分が生まれてきた意味は自分で作る。そして、あわよくば自分に満足して死にたいが、それが叶うとは思っていない。それでも探し続ける。超人にはなれなくても絶望せず、腐らずに進む。そんな人生を送りたい。

知りたい

私が見ているあなただけが真実。

私が見ていないところであなたが何を思っているか、私は知らない。

 

 

知らないことは、無いということ。

少なくとも私が知っているあなたは、私の好きなあなた。

 

 

それで十分なはずなのに

ぜんぶ知りたいと思ってしまうのは欲深なのかな。

 

 

とあるゲーム音楽をひたすら突き詰めた話

思い返してみれば、私は昔から物事を分析するのが好きだった。そして、一度分析を始めると食べるのも寝るのも忘れて没頭したものだ。

 

大学生時代、社交的でもなく特に趣味もなかった私は、ニコ動で好みの音楽を探すことにハマった時期があった。そこで出会ったサガフロンティア2のラスボス曲『Mißgestalt』に、私は衝撃を受けた。

Mißgestalt

Mißgestalt

ゲーム自体をプレイしたことはなかったが、その曲からは、壮大さ、哀しさ、美しさ、儚さなど、一言では言い表すことのできない複雑な重みを感じた。

 

なぜこの曲はこうも私の心に突き刺さるのだろうか。すぐさまゲームショップへ行き、中古でたった500円で売られていたサガフロ2を買ってきて、プレイした。ゲームの内容はざっくり言うと、歴史を動かした偉大な王の戦いと、史実(もちろんフィクション)には残らない真の黒幕との戦いの二本立て。表と裏から架空の歴史をたどっていく、いわば大河もので、プレイヤーは特定の主人公に感情移入するというよりは、俯瞰的な立場で歴史を見守るようなかんじ。

 

サガシリーズでもちょっと異色なので、あまり人気はなかったようだ。だって500円やで?スーファミロマサガの方がもっと高値で売られていた気がする。しかし、音楽も相まって、私個人的にはサガフロ2はとても好きなゲームの一つだ。ラストバトル時に『Mißgestalt』が流れた時は、まじで心が震えた。初めてあの曲を聴いた時に感じたものは、概ね合っていたんだなぁとプレイしてみて改めて感じた。

 

しかしこれだけでは終わらない。やはり、『Mißgestalt』という曲自体を分解してみないことには、なぜここまで私の心に突き刺さるのかがわからない。ふと、小学生の頃マッキントッシュのごついPCで、ポチポチとMIDIをいじっていたことを思い出した。フリーソフトMIDIをダウンロードして、私は『Mißgestalt』を打ち込みで一から、可能な限り再現してみようと試みたのだ。

花の女子大生が家に籠って一体何をやっているんだ、と思われるだろう。しかし当時の私にとって、何の生産性もないコンパや女子会よりも、この曲の魅力に向き合うことこそが最大の関心事であった。

楽器のパートごとに曲を繰り返し聴く→MIDIで打ち込むという作業を、ひたすら寝食を忘れて繰り返した。機械には疎いので、スロー再生とかパートごとの再生とか、そんな方法はわからなかった。というよりも、自分の耳でこの曲から音を分解して取り出したかったので、さほど効率性は重要ではなかった。ピアノを10年くらいしていたこともあり耳は良い方だったおかげで、なんとか曲として形にすることができた。残念ながらそのデータは今はもう残ってはいないが、素人がフリーソフトで作ったわりには再現度は高かったように思う。

 

たった一曲の音楽の魅力を探るためにここまでしてようやくわかったこと、私が『Mißgestalt』という曲に惹かれた理由。それは、怖いものは美しいということだった。『Mißgestalt』とは「異形、怪物」を意味するドイツ語だそうだ。言葉の意味合いとしては「いかにもラスボス」といったところだが、曲を聴いてみるとラスボス然とした荘厳さの中にも、切なさや退廃美のようなものが感じられる。後に、とある絵画を見た際にも同様に心が震えた経験があるのだが、その絵というのもまた異形であるにも関わらず、私は美しいと感じたのだ。(気が向いたらそれについても書きます。)

 

一般的に考えると、将来の伴侶を見つけるためのコンパや就活の情報交換をしている女子会の方が、一人家に籠って一週間以上もこんなことをやっているよりも、よほど生産性のある行動なのかもしれない。でも、私にとっては違う。私の人生の意味は、自分という人間を出来る限り理解して死ぬことだと思っているから、引き籠って没頭したこの時間はとても有意義であった。

 

興味の無いことにはとことん無関心なくせに、一度興味を持てばのめり込んで周りが見えなくなる。好奇心の赴くままに行動するので、わりと突飛で無茶なこともしてきた。30代になってさすがに落ち着いたが、根本は変わらない。いつまた火が点くやら恐ろしい。